心の断捨離「放てば手にみてり」
放てば手にみてり
とは仏教の教えで「想いを手放すと心の中に余白ができ、その余白に、より大切なものが入ってくる」と言う意味
後悔、心残り、恨み、つらみ、トラウマ、自責の念などに囚われていては、本当に大切なものは得られない
そればかりか、延々と過去と現在を彷徨っては苦しくなるばかり…明るい未来が見える訳がない
想いとは、物への想い、人への想い、執着とも言えるかもしれない。簡単には手放せないが、ずっと手の内にあると人生が暗くなる
それらを手放すのが断捨離
本当に必要なものは多くはない、心を満たす物だけを残して後は「ありがとう」と感謝して手放せばいい
物を整理するという事は自分の心を整理する事、荷物が多いと動きが鈍る、物で新たな道が塞がれる
執着を持ち過ぎると心が鈍る、大切な人がそばに居る事に気が付かない、目の前に新たな道があるのに見えない
心が片付けば風が通る、風が通れば心が澄む、そして、その澄んだ心の中に、新たな出会い、新たな道へと踏み出す勇気が生まれるのです
心配はいりません。私も、ある想いを手放そうとしているが、手放しきれない…
だって人間だもの、無理する必要はない
最後に、これが心の断捨離の本質かもしれない、それは、あなた自身が断捨離される人になってはならない
人は本当にどうでも良くなった人間には、何の感情も湧かない。悲しみ、怒り、哀れみすら無くなる
どんなに愛し愛されていようが、音も無く一瞬で終わる
「コノヒトニハ、モウナニヲイッテモムダ」
「アナタト、ハナスダケデツカレル」
「キミガドウナロウガシッタコッチャナイ」
「ドウゾゴジユウニ、サヨウナラ」
と、ただただ心の底から無関心になる
失望され、軽蔑され、見限られ、見放され、見捨てられ…
泣こうが、喚こうが、謝ろうが、暴れようが、縋ろうが、金を出そうが、死のうが…心に何の波風も立たない人
そんな惨めな人にはならないで欲しい


